神永敏子,『幕末水戸藩士の眠る丘』,風濤社,1997年11月


水戸藩家老の山野邊氏は最上義光の四男、義忠を祖とします。
幕末、水戸藩、徳川斉明は外国船の来襲に備えるため、家老の山野邊氏を城主として助川に海防城を築きました。


築城以来28年間は平穏に続いていた海防城ですが、1864年の甲子の乱に巻き込まれて消失、城を死守しようとした家臣も犠牲になりました。


東松山薬師面墓地に犠牲者の墓があります。


『幕末水戸藩士の眠る丘』はその墓碑の調査記録です。


『幕末水戸藩士の眠る丘』によると、その中にある「齋藤六郎左衛門久政」の墓碑に「白鳥十郎蔵人長久」「伯耆守」という文字と、谷地城の略歴が刻ま れてい るそうです。

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